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羊の夜をビールで洗う

シングルファーザーなプログラマーのワンオペ育児&暮らしのブログ。

自ら卑屈になって、相手に攻撃材料を与えても何も良いことはない。

思考

人生の多くの大事なことは、大抵本から学んでいると思っている私ですが、たまには実体験を通して体で学んだことも幾つかあります。そのうちの一つが、

 

「自分から変に卑屈になって、わざわざ相手に攻撃材料を与えることはない。」

 

ということです。人間生きていれば、どこかで自分の調子や都合が悪くなるタイミングって訪れると思うんですよね。そういうときって、自分にも相手にも少しづつ我慢してもらいながら、どうにかやり過ごさないといけない。

 

でも自分が調子悪いときに、「今は○○という状況だから...。」とか、「どーせ自分は××だし...。」と卑屈になって待っていても、会社の上司や友人が、心底から同情して、自らを犠牲にしてまで力を貸してくれることって、たぶんまれです。

 

自らウィークポイントを明かしたり、卑屈な態度をとってしまうことは、むしろ相手に自分への攻撃材料を与えてしまうことにもなりえます。

 

もちろん、直ぐにそういったポイントを突かれることはないのですが、何か問題が起きて言い争いになったときや、仕事の査定の時期など、相手は(意識しているしていないに関わらず)ここぞというタイミングで、そのマイナス材料を自身に有利なように使って攻撃しようとすることもあるのです。

 

ちょっと流れが悪いな〜、とか、不都合な事情があるときこそ、平然堂々と構えて、相手に突っ込みどころを与えないように振る舞い、自分がやるべきことを淡々とやった方がいいです。

 

客観的に見てちょっとしんどそうな状況なのに、平静を保とうとする相手を見ていると、今度は逆に「大変そうだからちょっと声かけしてみるか」とか「少し手伝って負荷を下げた方がいいな」という気持ちが生まれます。自ら卑屈になって流れを悪くするのと比べて、この差はとても大きいです。

 

なーんて、最近ちょっとヤなことがあったとか、別にそういうわけではないのですが、自分がこれまで経験してきたことで、こういうスタンスでいることって結構大事だよな〜、と思ったことをふと整理してみました。どなたかにとって少しでも響く部分があれば、幸いです。

 

おまけ

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