今日から仕事始めだったのですが、新年初出社を控えた昨日の晩、いつもより早めに寝かしつけに入ろうか、というそのとき、息子くんの様子がなんだか変でした。
しばらくじっと黙っているので、何か凹むことでもあったのかと思ったら、突然いつもよりギューっとくっついて甘えてくる。
「ど、どしたん?なんか調子でも悪いん?」
と体調を心配して手を額に当ててみても、熱があるわけでもなく。しばし途方に暮れていたら、ついにはワッと泣き出して、次の一言。
「しむ(死ぬ)のってこわいん?しむだらどうなるん?」
つ、ついに来たかー。そのヘビーな質問...!っていうかその質問が来るの、思ってたより早くないですか...。
最近「なぜ?」「なんで?」が増えてきて、数々の難問をどうにかかわしたりごまかしたりしてきた私ですが、これに答えるのはこれまででも最大級の難問。
とはいえ、「死んだらどこへ行くのか?」や「死んでも宇宙は永遠に続くのか?」なんて疑問を、夜寝る前に考えはじめてしまうと、どこまでも思考が深みに嵌っていって、ついには怖くなって泣き出してしまう...というのは、結構子どもの頃に経験された方も多いのではないでしょうか?(自分は小学校一、二年の頃だったかな?)
その後、大人になってからも、こういうことをふと考えることがある私ですが、そんなときに思い出すのが、学生の頃にハマっていた「ダイの大冒険」という漫画の、以下のシーンです。(ちなみにここに出てくるポップ君は、この漫画だけでなく全漫画の中で好きなキャラベスト3に入る)
出典「ダイの大冒険 第36巻」より
これを最初に読んだときは、「なるほど。いつか自分にも子どもが生まれたら、こんなふうに説明してみよう。」と思ったものですが、今か?今がそのときなのでしょうか。
...と思ったのですが、冷静に思い返して、5歳児にこのような説明の返し方は、まだ分からないんじゃないかなぁ、と思い、
「大丈夫、大丈夫。そんなにすぐに死なへんで。お父さんも、○○(子どもの名前)も。」
と無難な回答をしたら、それでもしばらく泣きじゃくりながら、少し経ったらスヤスヤと眠りについていました。しかしうちの子も、もうそういうことを考えはじめる年頃になったんですねぇ。
死、といえば、昨年私が読んだ本のなかにも、死をテーマにした本で、印象に残った本が二冊ほどありました。
山崎ナオコーラ 「美しい距離」
私の好きな作家、山崎ナオコーラさんの作品で、昨年の芥川賞候補作にもなっています。
四十代の夫婦が、パートナーの死を看取る過程を淡々と描いた静かな小説なのですが、死を看取るものと看取られるもの、それぞれの小さな感情の揺らぎや思いが、ていねいに書かれていて、山崎さんが表現したい死のかたちというのが、ひしひしと伝わってくる熱のこもった作品だと思いました。
看取られる側の妻の女性が、自らパン屋を営んでお客との交流に積極的だったり、四十にしては少し子どもっぽい言葉遣いだったりと、いっぷう変わったアクティブなキャラとして書かれているのも、山崎さんらしさを感じて、印象に残りました。
佐野洋子 「死ぬ気まんまん」
エッセイストの佐野洋子さんが、末期がんを宣告された後に書かれたエッセイです。この本の前に読んだ、「読まされ図書室」という女優の小林聡美さんによる読書ガイド本で薦められていたのをきっかけに知りました。
エッセイは、佐野さんががんの再発を宣告された日に、車のディーラーに寄って最後の物欲だ、とイングリッシュグリーンのジャガーを購入するところから始まります。まずこのくだりがなんかカッコイイ。
その後も「闘病記が大嫌いだ」と語る著者は、身辺整理をしながら好き気ままに生活したり、死生観について改めて考えたりするさまを、明るく豪快な文体で綴っていきます。読んで、死ぬのが怖くなくなったなんて決して言えないけど、自分もこういう構え方ができたらいいな、位には思える素敵なエッセイだったと思います。
自分は、この年齢にしては、身近な人の死に直面した経験がたぶん人より少ない方だと思うので、死について語るにはぺーぺーなんですけど、死のことって、死んだ先のことを考えるより、死の向き合い方、についての引き出しを増やしていく方向で考える方がいいんじゃないかなぁ、と何となく思います。
なので、今はまだ早いけど、子どもが中高生くらいになって、こういうことを真面目に考えていたら、自分だったらこういった本を薦めるんじゃないかなぁ、と思ってこちらでも書いてみました。
新年から縁起が悪い?いやいや、無邪気な子どものこういう質問ってほんとに突然来るんですよ〜。次にどんな質問にドキッとするのか、楽しみでいながらもいつもアタフタしている私でありました。