羊の夜をビールで洗う

シングルファーザーなプログラマーのワンオペ育児&暮らしのブログ。

ぼくは勉強ができない、のこと。

定期的に読み返していて、自分の考え方に影響を与えている本、のシリーズ第3弾として、山田詠美さんの「ぼくは勉強はできない」について書いてみます。

 

この本では、勉強のこと...というよりは、カッコいいってどういうことだろう?モテるってどんな人のこと?ということについての考えに影響を受けていると思います。しかし、そのわりには自分はたいしてカッコ良くもモテてもいないような...。その辺りもこのエントリで再考してみたいです。

 

 

「ぼくは勉強ができない」は、シングルマザーの家庭に育った高校生の時田秀美くんを主人公にした物語です。時田秀美は、勉強ができないのですが、それでもクラスの投票で書記に選出されてしまうほど、人気と人望があります。おまけに桃子さんという、バーテンダーをしている年上の彼女までいて、高校生にして既に深い関係になっています。

 

物語では、この秀美くんを中心に、成績は良いけれど女にモテなさそうな脇山、美人で芯の強い副委員長黒川など、どこの学校にもいそうなタイプの同級生との学園ストーリーと、ラーメンをすすりながらセックスの話ができるほど秀美と仲の良い部活顧問の桜井、あばずれな母に年老いてなお好色な祖父、という少し変わった大人たちとの関わりが描かれます。

 

そんな物語を読み進めていくと、徐々に「勉強はできないけど人気がある」時田秀美の魅力が浮かび上がってきます。物語を読んで私が解釈するに、時田秀美の魅力というのは、

  • 学校からの押しつけではない、自分なりの価値観があること
  • どんな人間であっても、一定の距離と態度を保って自然体で接していること
  • 年上の大人と長く深く接してきたことからくる、年齢以上の落ち着き 

などにあるのではないかと思います。

 

そんな秀美くんのスタンスは、「賢者の皮むき」という一編での、山野さんというクラスの誰もが憧れる美人の女子とのやりとりに垣間見ることができます。

 

「ぼくは、人に好かれようと姑息に努力する人を見ると困っちゃうたちなんだ。ぼくの好きな人には、そういうとこがない。ぼくは、女の人の付ける香水が好きだ。香水よりも石鹸の香りの好きな男の方が多いから、そういう香りを漂わせようと目論む女より、自分の好みの強い香水を付けてる女の人の方が好きなんだ。これは、たとえ話だけど」

 

「何よ、あんただって、私と一緒じゃない。自然体っていう演技してるわよ。本当は、自分だって、他の人とは違う何か特別なものを持ってるって思ってるくせに。優越感をいっぱい抱えてるくせに、ぼんやりしてる振りをして。あんたの方が、ずっと演技してるわよ。あんたは、すごく自由に見えるわ。そこが、私は好きだったの。」

 

 

秀美くんと山野さんの、このやりとりは、何度読み返しても見物です。この場面に至るまでの山野さんという女の子の、男への媚びの売り方の描写には、著者山田詠美さんの(同種の女性への)悪意すら感じるのですが、その山野さんが「自然体の人気者」秀美くんに完膚無きまでにしっぺ返しを食らわせる展開に、山田さんという作家の偉大なる力量を感じます。

 

ところで、この小説には、学園ストーリーの短編ものの最後に、一つだけ趣向が異なる話が添えられています。「番外編:眠れる分度器」と題されたこの一編は、小学生時代の秀美の担任教師である奥村と、秀美の母親時子が中心人物となった物語で、番外編と言いつつも、この本の約5分の1のボリュームを占める最も長い一編になっています。

 

秀美の母親時子は、本編では息子を放って置いて、年下の男性との恋に夢中になったりする少しだらしのない女性として書かれていますが、実は一流大学を出て出版社の編集者として働く、知性ある女性なんですよね。一方で奥村は、小学校教師として真っ当な価値観を持ち、小学生らしい価値観の枠に子どもを填め込んで教育したい、というお堅い考え方の持ち主です。

 

物語はそんな奥村と時子の個人懇談のシーンに始まり、その後も奥村は一般的な小学生の親子、の枠から外れた時子と小学生時代の秀美の振る舞いや言動に、振り回されて戸惑いを見せます。「眠れる分度器」ではその奥村が感じる戸惑いと、その背景にある時子の教育論や秀美の内面が事細かに描かれています。

 

高校生や大学生の頃にこの話を読んだときには、奥村の視点からみた時子と秀美の描写や、彼の心境の変化に着目する部分が多かったのですが、奇しくもシングルの親となった今読み返すと(まさかそんな立場で読み返すことになるとはね)、やはり時子の教育論や子ども時代の秀美の感性の方に目がいってしまい、ほろっときてしまう箇所すらあります。

 

他の子供と自分は違う。この事実に、秀美は、とうに気付いていた。自分の物言いや態度が、他人を苛立たせるのも知っていた。そのことで、彼は、たびたび孤独を味わっていたが、自分には、常に支えてくれる母親と祖父が存在しているという安心感が、それを打ち消していた。打ち消して、それでも、まだ溢れて来る力強さを、保護者の二人から感じていた。そう思うと、学校での出来事など、取るに足りないことのようにすら思えて来る。彼は、自分の帰る場所に存在している大人たちから、自分の困難が、成長と共に減って行くことであろうことを予測していた。それは、時間の流れに沿って泳いで行けば、たちまち、同種の人間たちに出会うだろうという確信に近いものをもたらした。

 

改めて、この「眠れる分度器」を再読してみて、私は決して自分の子どもを秀美くんのように育てたい、とか時子の教育論を参考にしたい、と思ったわけではないのですが、自分の子どもがどのように育とうとも、子どもがこのような安心感を感じられるような、親であり保護者でありたいなぁ、と思ったのでした。

 

ところで、冒頭にあった通り、学生時代の私はこの本を読んで、「カッコいい男とは」「モテる男とは」ということについて、多大なる影響を受け、「男というのは、既定の価値観に振り回されずに堂々としているのがカッコいいのだ。」「美人の女子であろうと、決してミーハーになびくことなく自然体でいる方がモテるのだ。」とそのようなスタンスを貫いてきましたが、決して秀美くんのように年上の彼女が居るうえに、クラスで憧れの女子から告白される、というような美味しい目にあった試しがありません...なぜだろう???

 

はっっ!もしかして、秀美くんというのは、サッカー部に所属している位だから、きっと見た目的にも背が高くてイケメンであるからして、そのようなスタンスを取っていてもモテるのであって、身長的にも外観的にも平凡である私が真似をしても、決して同じようなことにはならない...そういうことなのではないか?(っていうかたぶん気付かれてすらいない)

 

最後に身も蓋もない、というか至極当たり前な結論に達してしまった私ですが、この「ぼくは勉強ができない」も、どんな時期に読み返してもスルメのような味わい深さがある本だと思うので、昔読んで面白かったなぁ、と思った方も再度手に取られてみるのをお薦めしますよ〜。

 

おまけ

その他の昔読んで影響を受けた本の話、はこちら。

 

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