羊の夜をビールで洗う

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羊の夜をビールで洗う

シングルファーザーなプログラマーのワンオペ育児&暮らしのブログ。

大学を本気で辞めようと考えていた私が取った行動と、大学でもっとやりたかったこと。

はてなブログで以下のエントリが話題になっていました。

 

www.ishidanohanashi.com

 

何を隠そう、かくいう私も大学を本気で辞めようと思ったことがありました。それも一度ではなく何度も!。とはいえ、私の場合は、この方のように起業をする!というような高尚な理由からではなく、単に大学の学問について行けなくて辛い、という情けない理由からだったのですが...。

 

しかし、理由はどうあれ、一度は大学辞めたくなる人って結構多いんじゃないかな〜、と思い、この方にとっては何の参考にもならないかとは思いますし、もう10年以上前の昔話になってしまうのですが、大学を辞めようと思ったときに、当時の私が取った行動について書いてみます。若かれし頃の私のダメっぷりが思いっきりバレてしまいますが、まぁそれは時効ってことで。

 

文転しようとした。

いきなり「お前は何を言っているんだ?」と思われるかもしれませんが、私の学部はたまたま文系と理系の境目がゆるい学際系の学部だったので、転専攻という制度がありました。高校のときに得意だと思っていた、数学と物理に全く歯が立たず、物理に至っては単位すらままならない有様に、いっそ文系に鞍替えしてしまえ、と考えたわけです。

 

この時点で不甲斐ない現実から逃避することしか考えていないダメっぷりが表れていますね〜(笑)。結局、次に取った行動から、理系や計算機の勉強も向いてなくもないな、と思い返したので文転はやめました。ですが、一度は本気で考えて、現代思想や社会学の本を適当に読みあさったことで、文系の研究者の方の興味の持ち方や研究の進め方などを知ることができて、結果としては知識や考え方の幅が広がったように思います。以前のエントリで書いた、内田先生の入門書に出会ったのもこの頃ですね。

 

www.smartstyle-blog.net

 

Javaを勉強した。

計算機科学を学ぶ学生というのは、大抵はC言語か、Lispなどの理論寄りのプログラム言語から学ぶのですが、当時の自分はC言語のポインタや関数型言語の考え方をうまく使いこなすことができなかったので、ポインタがなくて簡単そうでいいな、とJava言語に手を付けました。

 

当時のJava言語は、言語のバージョンが1.3、Tomcatのバージョンは3で、Eclipseはまだ生まれていない、という原始時代でしたが、Swingのコンポーネントをいろいろ画面に表示したり、JSPで動的なWebページを表示して遊んでいたら、なんとなくオブジェクト指向の考え方が分かってきて、オブジェクト指向が好きになりました。

 

Javaを選んだ動機としては計算機科学の学生失格ですが、Javaはその後サーバサイドのプログラムを書く言語として広く普及して、その後のお仕事でも長く使えた(というか今も使っている)ので、悪くない出会いだったのではないかと思います。

 

卒論ネタを探しに、いろんな学会誌を読み漁った。

普通、理系の研究室の学部論文というと、教授がやっている研究のお手伝いをしながら、派生的なテーマをもらって練習がてら論文を書く、というパターンが多いと思うのですが、私が4年次に所属していた研究室ではテーマが完全に自由だったので、そもそも理論のベースが弱い私は、卒論のネタ探しでまた行き詰まりました。

 

Javaを身につけた繋がりで、Webやデータベースが好きだったので、Webに書かれた知識が機械で自動処理されてより便利になるような研究ができたらいいなぁ...と身の程しらずの大それたテーマを掲げていたのですが、そんなテーマをどうやって一人で進めたらよいのか分からず、自分の学部の図書館以外に、工学部の図書館に足を運んだりして、関連のありそうな人工知能学会などの学会誌や専門書を読んだりしていました。

 

結局ここでもダメな私は、期限が迫るまで行き詰まったままで、大学は一年留年して卒論だけ全く違うテーマでやり直すことになったのですが、知識や視野が未熟なりに自分で必死でいろいろ調べたことは、少しはその後の自分の糧になっている気がしますし、専門的な文献に当たろうと思えばいくらでも当たれる大学という環境は、とても恵まれていたなぁ、と改めて振り返って思います。

 

ITベンチャーの会社でバイトをした。

留年が決まって暇になったので、どうしようかとインターネットを見ていたら、下宿の近くでJava言語のスキルを要求するITベンチャーのアルバイトを見つけたので、応募しにいったらそのまま採用されて、翌日から週5で働き始めました。

 

ITベンチャーのバイトは、その前にしていたコンビニのバイトよりも単価が高かったし、週5で働けたので月に15-20万の給料になることもあり、学生ながら自由に使えるお金が増えたのが嬉しかったです。

 

ベンチャーのバイトに集まってる人たちも、レベルの高い人たちが多くて、後に未踏スーパークリエイターに採択された方なんかもいました。私自身は凡庸なプログラマでしたが、そんな方達に囲まれたことで、覚えたてのJavaの知識がだいぶ補完されました。

 

ただ、オフィスのマネージャーだった人が人格的に問題のある方で、私自身もプレッシャーがきつかった上に、人が次々に入っては辞めていく状態だったので、3ヶ月ほど続けた後にそのベンチャーのお仕事は辞めました。ベンチャーの仕事は、その後ももう1社だけやりましたが、やっぱり自分にはもう少し成熟した会社の方がいいな、と大学5年目の春になった段階で就職活動に専念しました。

 

大学でもっとやっておきたかったこと

ここまで読んで、「お前、結構良さそうな大学出てるのにやってることしょぼいな」と思ったあなた、本当にその通り。

 

大学生というのは、膨大な時間を自分の思いのままに使える恵まれた身分なので、ここまで紆余曲折しても適当に卒業できてしまったり、就職できてしまったりするのですが、振り返ってみて、大学というあらゆる点でリソースに恵まれた環境を、自分がどのくらい使い切れたかというと、20%も使い切れていない気がして、ほんと勿体ないことしたな〜、とずっと後悔しています。

 

もっと大学1,2年次の時に、分からないところを徹底的に理解して基礎を固めたうえで、3,4年次の授業で優秀な大学の先生方と濃ゆい議論をしたり、先生方の研究のプロセスを頭と体で学ぶ、ということをもっとちゃんとしたかった。

 

当時の自分は認めたくなかったことですが、大学に入ること、だけが目的の受験勉強をただこなしただけで、大学に入った時点で典型的な燃え尽き症候群になっていて、大学に入った後のビジョンや目的意識が弱かったのだろうな〜、と思います。

 

自分の子どももいずれ、大学くらいは行くのだろうと思っていますが、その頃になって「何のために大学へ行くの?」「大学で何をするの?」ということに迷っている素振りが見られたら、自分の二の鉄にならないように、(手取り足取りのお節介はしなくとも)何かきっかけを与えてあげる位のことはしてあげられるといいな、と気が早いながらも考えています。

 

おまけ。いろいろだめな某大学生のお話といえば、こちら。書き出しを少しだけ引用。

大学三回生の春までの二年間、実益のあることなど何一つしていないことを断言しておこう。異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有為の人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの打たんでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえであるか。
責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。

 

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