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羊の夜をビールで洗う

シングルファーザーなプログラマーのワンオペ育児&暮らしのブログ。

100%の女の子と出会っても、たぶん何もできない。

読書 村上春樹

村上春樹さんの短編に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」というかなり短い作品があります。村上春樹さんの作品は結構読んでいたつもりなのですが、この作品は「カンガルー日和」という初期の短編集に収録されていたので、出会うまでに時間がかかりました。

 

 

どんな話なのか、書き出しのみ引用してみます。

 

四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセントの女の子とすれ違う。
たいして綺麗な女の子ではない。素敵な服を着ているわけでもない。髪の後ろの方には寝ぐせがついたままだし、歳だっておそらくもう三十に近いはずだ。しかし五十メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。

 

少し調べてみると、この「100パーセントの女の子」はその後の長編小説「1Q84」の派生元ともなった作品のようで、短い作品ながらも村上さんの中でも思い入れの深い作品となっているようです。

 

小説の中では、主人公はそれほど美人、というわけでも、タイプだったのかも定かでない100%の女の子と出会い、何かを話しかけるでもなくすれ違い、すれちがった後で妄想や回想をします。その回想のコミカルさもこの作品の特徴かとは思いますが、なんと言っても「100%の女の子」という語感が強烈で、一度読んでしまうと呪縛のようにまとわりついてきます。100点、じゃなく100%。

 

道を歩いていたり、電車に乗っていたり、会社でたまに見かける子、とかでも、何となく、すごーく気になる子っていますよね。(まぁこの話の主人公と違って、私の場合はそういう子ははっきり自分にとってタイプなんでしょうけど。)

 

けれど、自分の場合も、そういう子には積極的に自分から関わりを持とうとしないか、話をする機会がある関係にあってもうまく自然に話せないことが多いです。話せてもすごく緊張してしまうので、そこまで緊張しないで気軽に話したり冗談を言える人の方が仲良くなりやすくて、付き合うときもそういうパターンばかりなんですよねー。

 

まーでも、自分だけじゃなく、付き合ったり結婚したりする相手って100%ではなくて、そのくらい(70%くらい?)の相手のケースが多いし、その方が長続きしやすいんじゃないかなーと、勝手に思ってみたり。そもそも女の人は自分が100%じゃないって相手の人が思ってたら、怒ったりするものなのでしょうか?それも、この短編を読んで以来、ずーっと持ち続けている疑問だったりします。

 

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