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羊の夜をビールで洗う

シングルファーザーなプログラマーのワンオペ育児&暮らしのブログ。

流しのしたの骨、にみる父親像。

読書 思考

再び「流しのしたの骨」の話をしてみます。流しのしたの骨に出てくる「お父さん」は、必ずしも現代の世の中のお父さんの典型的なパターン、というわけではありませんが、自分の抱く父親像を形づくるのに大きな影響を与えていると思うのです。

 

江國香織  「流しのしたの骨」

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「流しのしたの骨」では、お父さんは「大きな会社に長く勤めていて、帰りが遅くなるときには必ず連絡をし、朝帰りなどは決してしない」規律正しい父として書かれています。そよちゃんが結婚して家を出たあとは、実家での宿泊を許可しない、など家庭でのその規律はいささか古風すぎるとも受け取れます。

 

また、「筋を通す」ことにも重きをおく人物として書かれています。作中のなかでは、同性の恋人が身ごもった子どもを自分が引き取って育てると言って聞かない、しま子ちゃんの困った行動に対して、養子にするという選択肢を本格的に取るべく、相手方の家族に夜な夜な相談しに行く、というエピソードが印象深いです。

 

そんな父親に対して、お母さんや四人の子たちが、反発しているかというとそうではなく、母親は男性についての話をしているといつの間にか対象が夫のことにすり替わっているくらいには、夫に敬意を払っているようですし、四人の子たちは「この家ではそういうもの」と父の規律や筋の通し方を受け入れているように読めます。

 

私は「流しのしたの骨」で書かれる父親像を読んで、(やはりこれもやや古くさい受け止め方なのかもしれませんが)父親というのは良くも悪くも家族の憲法のような存在なのだな、と思いました。それは父親が家の中で一番偉いということではなく、父が自身の定めたルールに厳格に従って生きていて、それが揺るがないということが、家族が長く安定していられるために大事なことの一つなのだろうな、ということです。

 

父親となったあとに「流しのしたの骨」を読み返していると、そのように書かれている父親像につい目がいってしまい、父親としての責任の重さについて改めて考えさせられます。

 

おまけ。関連エントリです。よろしければどうぞ。

 

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